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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



自然崇拝を"原始的"といったのはだれだろう

 アメリカ・ワシントンで200万人を集めておこなわれた、今年1月のオバマ新大統領の就任演説。
このなかの自然エネルギー活用に触れたことばに注目しました。
「われわれは太陽、風、そして大地を使い、車を走らせ工場を動かします」

ここの「使い〜」という箇所。メディアによって「利用し」「捉えて」「エネルギーに変えて」などいろんな訳語を当てていました。裏返すと、それだけ邦訳に苦しんだということでしょう。
というのもオバマ大統領がここで口にした原語は「harness]。これは、もともと「馬車に付ける馬具」という名詞で、動詞としては「馬に馬具を付ける」の意です。大統領は太陽や風や土壌を馬のように制御して使う、利用するといったわけ。日本人からすると、ちょっと違和感があり、だから翻訳にも苦労したのです。しかしキリスト教文化の欧米では創造主=神が、人はすべて自然物の上にあるとしているのですから、この表現も至極、妥当なものなのです。
日本では毎朝"お天道さま"に手を合わせ、風神を畏怖し、ビルを建てるときは必ず地鎮祭をおこないます。自然の恵みをいただいて生きる、こんな文化を、欧米は原始的なアニミズム(自然崇拝)といって嘲笑してきました。次のようなエピソードもあります。日本の原子物理学者の先駆、仁科芳雄博士。青年時代、留学先のドイツで恩師ボーアに問いました。
「日本人は科学ができるでしょうか」
日本人は自然漬けの自然教信徒だから、欧米人のように自然を冷徹にみつめることができない。自然を突き放して客観的に分析するのに腰がひける。それを憂えての質問でした。つまり博士ですら日本人の自然崇拝を問題視していたのです。
しかし、自然漬けだからこその科学というものもある。昨年ノーベル化学賞を受賞した下村脩さんは、85万匹のオワンクラゲを家族とともに明けても暮れても採りつづけ、ついに緑色蛍光たんぱく質を発見しました。まさにクラゲまみれ、自然漬の成果でした。また同時に物理学賞を受賞した素粒子理論の益川秀敏さんはいいます。「物理というのは、文字通り自然科学なんです。だから自然のなかにクオークが6つ見つからなければ、仕方がない」。
福井謙一さん(昭和56年、同化学賞、故人)。「化学の世界に入ったのは、結局、自然にひかれたから」「人間は、自然の不思議を解き明かそうとして科学を生み出した」「自然の現象で、よく分からないことを解き明かすには、人間の生物的勘は、しばしば過去の自然とのいろいろな付き合いが関係するものだ」などの語録を残しました。
白川英雄さん。(平成12年、同化学賞)。「自然への興味は子供のころからあって、台風で根こそぎ倒れた大木の根元から無数のセミの幼虫がはい出してくるのを飽かず眺めていた」「自然の営み、とりわけ生命の営みは、すべて化学反応の結果といってもいい過ぎではない」と語っています。
自然を見下ろし、自然と対決する欧米の科学者や技術者。自然に浸り、自然の懐のなかで、自然と一緒に呼吸する日本の科学者や技術者。両者、自然に対する心の深層が、みごとなまでに対極的です。めざす山頂は同じでも登るコースがまったくちがう。このちがいこそ、世界にとって実に貴重。とくに文明が折り返し点から負の段階に入ったこれからの世界にとって欠かせません。
日本人の自然崇拝は決して原始的などというものではなく、それどころか、より先端的であるといっていいと思います。