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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



ロボットだけでなく、無機物すべて人間扱い

 「ロボット、日本はなぜ人型」こんな見出しをつけた記事が、先日ある新聞に掲載されました。5段組みの大型記事で、なかなかの力の入れようです。
わが国にはホンダの「アシモ」やソニーの「キュリオ」など二本足が多く、さらに最近は声もだしてファッションショーの司会をする若い女性型ロボットも出現しています。これに対して外国のロボットには、ほとんど人型がない。この記事は、「米国で人型ロボットを研究する友人がキリスト教系団体から脅迫された」という日本の研究者のコメントを紹介。ホンダのロボット研究者が「『鉄腕アトム』などロボット・アニメの影響で、日本では「ロボットは人型」(にするのが当然)と刷り込みがある」という発言をとりあげていました。
もっと大きく日本人の心の背景を考えると、昔からわれわれは万物を水平思考でとらえ、みな擬人化してしまう傾向のあることに気づきます。動植物はもちろんのこと、切っても割っても血の出ない無機物までも人間扱いします。たとえば富士が初冠雪すると「今年も、もう富士さんが白い帽子をおかぶりなさって…」などといい、利根川は「坂東太郎」、吉野川は「四国三郎」と呼ばれる。石垣を組む石工は「石が座りたがる場所に座らせる。でないと、石がごねるんでね」と話します。40年走りつづけた新幹線の古い車両が引退するとき、最後の発車を大勢が見送り、「長い間、ご苦労さん」と涙を流さんばかりに叫ぶ。針供養、筆供養をし、病理研究所にはウイルスを慰霊する菌塚まであるといいます。
だから、日本ではロボットは人型でなければならなかった。実際、わが国最古のロボット、8世紀の「水汲みからくり」はすでに人型でした。日照りつづきで田の水枯れがひどく、桓武天皇の皇子、高陽親王(かやのみこ)が心配して壺をもった人形の顔にピッシャと水がかかる仕組みで、村人たちが面白がって次々に壺に水を注いでピッシャ、ピッシャを繰り返し、その結果枯れた田が潤ったというのです。
江戸時代の「茶運び人形」「弓曳き童子」「山車からくり」などは、ただ人型というだけではなく、みやびな衣装をまとい、手にする道具もみごとな漆塗りの極上品ときています。
1982年来日したイギリスのサッチャー首相(当時)が茨城県つくばの研究機関を訪れたとき、迎えにでたロボットと握手したのですが「驚いたことに、そのロボットにはデリケートな関節をもつ指まであった」と彼女は回顧録に記しています。
第8回全国高専ロボコンに出場した岡山県の津山高専。いかにも貧弱なロボットでしたが、2回戦、3回戦と敵失に助けられて勝ち進み、ついに決勝に進出。だれの目にも圧倒的優勢にみえた東京高専が、やはり自滅して津山が覇者の座につきました。このとき津山のリーダーは、
「七転び八起きするロボットに自分たちが教えられ、引きずられてここまでくることができました」 といって、うれし涙を流したのです。
ロボットを人間の領域を侵食する油断ならぬ存在とみる欧米。これに対してロボットを「人型」どころか、「人並み」に魂のあるものとみる日本。この日本人のミーム(文化の遺伝子)は世界でもめずらしい独特なものですが、機械やモノとの親和性、対話性にすぐれている分だけ、他方で人と人とのコミュニケーション能力においては、やや貧しいということにも十分留意しておくべきでしょう。