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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



「善意」の殻に逃げ込まず  世界へ強力に自己主張しよう

 日本とヨーロッパの文化比較を専攻とする松原久子さんは、ドイツ・テレビ局の連続討論番組にレギュラー出演していました。
 その日のテーマは「過去の克服―日本とドイツ」。英国、米国、ドイツのパネラーがそろって第2次世界大戦における日本軍の残虐ぶりをあげつらって松原さんを非難します。それに対して彼女は、ドイツのホロコーストはユダヤ人抹殺を図った国を挙げての政策であり、日本にこの種の野蛮な政策はまったくなかったこと、また英国軍の日本兵捕虜虐待、米軍機による100以上もの日本の都市に対する無差別爆撃や原爆投下を指摘して、自分たちだけが人道的であるような顔をする相手に激しく抗議したのでした。
 さて、番組が終わり、松原さんは帰宅のためケルン駅のホームで列車を待っているときです。見知らぬ中年の女性が近づいてきて、
 「あなたですね。さっきテレビでドイツを攻撃したのは。われわれのテレビでわれわれを非難するのは許せない!」
というやいなや、松原さんの頬を平手打ちし、あっという間に姿を消しました。
 この話を聞いて、私はとっさに思ったものです。
 「あ〜あ、やっぱりまだヒットラーがドイツには生きているんだ」
 なにしろヒットラーは「世界に冠たるドイツ」「日本人は劣等民族」などと力説していました。彼の人種観は、今もドイツに根強く残っている。民族性の核は、あの悲惨なヒットラー帝国崩壊をもってしても変わらなかったのだ。そういう実感でした。
 松原さんが書いた本「驕れる白人と闘うための日本近代史」には、日本の新幹線は西洋の鉄道技術の模倣だという趣旨の記事を掲載しているドイツの高級週刊誌が出てきます。周知のように新幹線は1964年、東京オリンピックの年に開通しました。従来の列車は、先頭の機関車がうしろの客車を牽引して走るものですが、新幹線は客車に動力をつけた連節列車として世界で初めて登場。日本の創意が生んだ歴史的な開発です。その後独仏から何度となく調査団が来日し、フランスの超高速列車TGVがパリ―リヨン間にお目見えしたのは1981年。ドイツのICEが走り出したのは1991年。ところが今や新幹線がドイツの技術を盗んだような書きっぷり。新人のジャーナリストでも知っている新幹線の先行性を、あえて知らないふりをするのは白人は東洋人より数段優れているとする大衆に迎合するためとしか考えられない。
 白人に限りません。今開催中の上海万博の中国館の建物のデザインが日本の安藤忠雄氏の作品をマネたものではないかという疑惑に対して、中国側は「隋、唐の建築物をパクったのは日本ではないか」と言って逆抗議してきました。また、この万博のPRソングが岡本真夜さんのヒット曲を盗作した問題で、真夜さんが「世界的なイベントに協力できて光栄です」と、まことに人のいいコメントを発表しました。これとても中国の民衆は決して謝意を示すわけではなく、逆の受け取り方をするはず。「やっぱり日本は夷狄の国。昔、朝貢していたのと同じように我々のご機嫌を取ろうとしている」
 「友愛」の旗を振りさえすれば外国はみな喜んで同調してくれると思っているのは悲しいかな、日本人だけ。評論家、竹村健一氏の「日本の常識は、世界の非常識」とは、いいえて妙なのです。
 日本を含めて世界のそれぞれの民族性は変わりません。「善意」とか「誠心誠意」という殻に逃げ込まず、松原さんのように傲慢な世界を向こうにまわしても不退転の気概で自国の立場を強力に主張する闘いから降りない。これが最も肝心なことだと思います。