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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



人間の性(さが)は、昔も今も変わりません


芸者の置屋に侵入し芸者2人を殺傷、その2日後には料理屋で女将、女中ら3人を殺害。翌月自宅で強盗を装って自分の兄を殺し、兄嫁と子供、実父、実姉に重傷を負わせた。さらに警察の追及がないのをいいことに翌年電車で乗り合わせた女性の家に入って両親と姉弟を殺害したあと、女性をレイプしようとして失敗、ついに逮捕された。犯人は、まだ17歳。取り調べ中、別件で芸者ら2人を刺したことも自供した。合計で殺人は9人、傷害8人以上。
 さて、この話、だれもが最近の荒れた世相の中の凶悪事件と思うでしょう。が、じつは昭和17〜18年、つまり太平洋戦争さなか、静岡県浜松で起こったものです。
 昭和2年茨城県真壁郡で3件の父親殺しがたてつづけに発生。まず1月中学生が小学校長の父親の額を鉄瓶で殴って殺し、3月やはり小学校長の父を19歳がマサカリで撲殺。6月18歳が就寝中の父親を日本刀で斬り殺した。
 戦前の刑法では父母や祖父母など尊属に対する犯行は特に重罪ですが、調査機関「少年犯罪データベース」を主宰する管賀江留郎さんのレポートは「戦前の親殺しの特徴は、親だけではなく兄弟姉妹をみんなまとめて殺害する一家皆殺し事件が多いこと」だと記しています。
 昭和19年東京・大森で中学4年(旧制)の17歳が中学1年の13歳と祖父母を殺し、母親に重傷を負わせ、犯行現場に放火した事件の原因は同性愛。犯人と被害者は近所に住んでいたが、13歳が家庭の事情で遠くの祖父母の家に移って、会いにくくなったことを悲しみ、いっそ相手をなきものにした事件。
 小学校の教室で男の子がケンカで友人をナイフで刺殺するのは、ごくありふれたケースです。金沢では12歳の少年が10歳の弟をネコイラズで毒殺。両親が弟ばかりかわいがるというのが、その動機。
 東京・本所では級長の小4女子が授業中、副級長の頭をなぐって殺し、向島の小学校でも4年女子が、トイレに連れ込んだ4歳の幼女の頭をこん棒でメッタ打ちして殺害した。また中野の銭湯で小5の女の子が入浴客の財布を盗んで捕まったが、この子も級長。次の級長選挙にノートや鉛筆で級友を買収しようと、その資金欲しさの盗み。といっても、この子は裕福な恵まれた家庭の子だった。
 標的はだれでもいい、中学2年が自宅のそばを通る人を空気銃で無差別に撃った通り魔事件。ニートやストーカーがらみの犯罪から小中学、女学校で児童生徒が卒業式前後に校長や教師を襲ったり、勤務態度のわるいのを棚に上げて雇い主の殺傷まで、まさに戦前も“少年犯罪のデパート”でした。
 確かに戦後の少年犯罪も多発しています。兵庫県で14歳の「酒鬼薔薇聖斗」が小4の少女を殺し、小6少年を絞殺して頭部を切断、それを中学の校門前に置いた事件を筆頭に、奈良で高校生が父親憎しから自宅に放火、母と妹を焼死させた事件、母親を劇薬タリウムで植物状態にし、その観察日記を書いた17歳少女など世間を震撼させました。
 ただ現代人は忘れっぽく、昔は平穏で、清く正しかった風に考えがちですが、戦前の少年犯罪は件数や凶悪性において、決して戦後に劣らない。少年人口10万人当たりの殺人犯罪比率をみると昭和11年が1.05%で、平成17年は0.58%。むしろ最近は半減している。
 私の好きな高浜虚子の句に、
 「去年今年 貫く棒の如きもの」
がありますが、この替え句をつくって折々反芻しています。
 「いま昔 貫く棒の如きもの」
 ここで「棒」とは人間の性(さが)。よくもわるくも簡単には変わらないものです。貧しい社会だろうが豊かな社会になろうが、人の性は本質的には同じなのです。