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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



続報がありませんメディアさん、頑張って!


 「お前もジャーナリストのはしくれ、自分で取材しろよ」
 きっと、そういわれそうですが、ここはやはり組織力のある新聞、テレビにお願いしたいものです。
 というのは毎年、12月ともなると必ず思い出すことがあるのです。駐ペルー日本大使館公邸での人質事件。どなたもご記憶のことと思いますが、15年前の12月17日、レセプションを開いていた公邸に反政府のテロ組織「トゥパク・アマル革命運動」のメンバー14人が仲間の政治犯釈放を求めて乱入、招待客や大使館職員600人余を拘束。途中で老人、女性を解放したため最終的には72人が127日間の監禁生活を強いられたものです。人質解放は翌4月22日。フジモリ大統領(当時)が指揮する国軍が地下道を掘って公邸に突入、テロリスト全員を制圧しました。このとき国軍からバレル大佐(38)とヒメネス大尉(27)の2名、人質から最高裁判判事ギュスティ氏(56)1名が犠牲になりました。
 大佐にはマリナ夫人との間に当時13歳の長女バレリアさんと3歳の長男ジョバニ君がいた。国葬(なぜか、日本政府からの参列者ゼロ)の日、バレリアさんは「パパ、パパ」と棺にとりすがって泣き崩れていました。一方、大尉はクラウディアさんと正式に婚約、秋の挙式の為ウエディングドレスを注文し教会やパーティー会場も予約ずみでした。
 この情報は事件解決直後、日本中をかけめぐり、謝意を込めた弔慰金が全国から遺族に寄せられた。
 すると大尉の婚約者クラウディアさんは悲しみの中から声を絞り出し、「今の私には何もみえません。これからどんな人生を生きるのでしょうか。弔慰金運動には感謝しています。でも日本の皆さんが大尉のことをいつまでも記憶していてくれるほうが私はうれしい」と産経新聞の記者に語っています。またマリナさんも「日本の皆様、どうか私の夫のことを忘れないでください」と話した。名誉と誇りに生きた軍人の心を良く知っている二人だから、同じ言葉になったのだと思います。
 取材をお願いしたいのは、この遺族たちのその後の消息です。大佐の娘バレリアさんは心臓が弱かった。元気でやっているのだろうか。息子のジョバンニ君はもう18歳。大学へ進学したのだろうか。クラウディアさんは幸せに暮らしているのだろうか。人質解放10周年には型通りの記事が流れたが、これら遺族を追う報道はなかった。
「記憶していてください」「忘れないでください」といった遺族たち。来年4月は解放15周年、もっと心のこもった情報を日本中で改めて噛み締めてみたいと思うのです。続報を期待しています。
 さて、次ぎは義援金の話。東日本大震災に、じつに160カ国が支援の手を差し伸べてくれました。ところが、支援の総額はいくらになったか。また、どことどこの国が支援してくれたのか。政府も日本赤十字社も明らかにしていない。何か理由があってのことですか。外交儀礼上、発表できないのか。今後日本人が海外へ出かけた先で支援してくれた国かどうか分からないではお礼の述べようがない。国民には知る権利があります。続報をお願いします。
 また昨年、尖閣諸島沖で中国漁船が巡視艇に衝突した事件。海保の職員が職を賭けてビデオを公表しましたが、政府は公式にこの事件の真相国民に伝えるを意思はないのか。中国への配慮から、あくまで非公開でとおす選択をしたのか。続報がありません。
 最近、尖閣諸島周辺では中国の監視船の数もふえ、圧力が強まっています。メディアは南西諸島のどこかに恒久的な取材基地を設け、常時、日中の最前線の動静を伝えるようにしてください。期待しています。