ほのぼのマイタウン 街・家族の活性化を支援します 小平市・東久留米市・清瀬市・東村山市・西東京市を結ぶ手作り情報マガジン

> エッセイ・自分たち探し 目次


もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



「大学改革」論議はあきれるほど短絡的です

   
今年は、「大学」がいろいろとにぎやかな話題を提供しています。
といっても、学生が騒いでいるのではありません。学生は、むしろおとなし過ぎるほどで、問題は大学側の運営に関するものが多い。例えば、少子化にともなう受験生の減少から800近い全国の大学の約4割が定員割れで苦しみ、現実に閉鎖に追い込まれた大学もあります。また少なくなった受験生を奪い合う大学全入時代を迎えて、学生の学力低下が目立ち大学で中学レベルの補習をするところがふえていますが、この件で世論調査をすると30%の人が補習を支持したとか。学生の学習意欲も衰え、自宅での勉強は1週間で合計1〜5時間が平均的。そこで大学で教授が一方的にしゃべる"受け身"スタイルの講義を改め、学生も積極的に発言する参加型のゼミナール方式を拡大したいと文部科学省がいい出し、来年度から260の大学に財政支援をするそうです。
さらに現在の4月入学制を秋入学に変えたいと東大が提案。大学院では海外からの留学生が全体の18%台を占めているのに学部のそれはわずか2%弱。国際化に遅れをとったためと考え、その是正策として外国では一般的な秋入学制に歩調を合わせたいということのようです。
このように大学の当面する問題を並べてみて思うのは、対応があきれるほど短絡的で対症療法的ということ。東大の秋入学案にしても、外から留学生がこないのは東大の学部に魅力がないからです。前半2年の教養課程を東大は自慢しているようですが、学生たちは不満を抱いている。後半の専門課程は実質1年半程度になっており、「これじゃ、まるで短大」と自嘲の言葉を口にする学生もいるくらい。東大というブランド力の大きさが、これまで何かにつけて欠点をかくしてきたのですが、時の流れがブランド依存の甘い体質を露出してしまったのでしょう。
私はかねてから、大学の問題は大学という狭い世界だけみて対処すべきものではなく、小・中学、高校ともからめた教育制度全体の問題としてとらえねばならないテーマだと考えてきました。教育とは、ひと言でいえば子供の自立を促す活動です。そのまぎれもない目標が日本では曖昧化してしまっている。逆に自立しない方向に引っ張っているような教育が横行していると感じています。遅くとも高校卒業までには、将来自分はどのように生きるか人生の設計図を描けるようになっていなければならない。そのためには小学生時代から自分を見つめる習慣を身につける。年に2度、自分の長所はなにか、欠点はなにか、作文に書かせるのです。中学生になったら、それをもっと進めて自分の特質はなにか、他人との比較のなかで考えをまとめ、やはり年に2度作文にして提出させる。高校では、社会をもみつめながら自分の生き方を決断する。論理的に考えを組み立てることができる作文は、他人の目にもふれる可能性があるので、いい加減な人生デザインを発表するわけにはいかない。念をいれて描くことになります。
東大の教養課程の学生が、「18、9歳で人生を決めてしまうのは寂しい」といっていましたが、これこそ"甘ちゃん人間"の典型。ドイツでは10歳でギムナジウム(高校)へいくかアールシューレ(実科学校)へいくか決めています。
いまの日本の教育はひとりひとりの児童生徒の個性を発掘し、自立に向かわせることには無関心。ただ著名な高校や大学へ進むのが目的化していて、目的校に入ったらなにをやっていいのか分からず「5月病」に罹ってしまう。こんな足元のところを抜本的に是正しない限り、大学の真の国際化など実現するはずはないのです。