ほのぼのマイタウン 街・家族の活性化を支援します 小平市・東久留米市・清瀬市・東村山市・西東京市を結ぶ手作り情報マガジン

> エッセイ・自分たち探し 目次


もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



世界には誠意の通じない国もある相手をよくみてつき合いましょう

   
 聖徳太子が「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書をいたす」ではじまる国書を隋帝に送ったことはあまりにも有名ですが、あれは今後日本は中国大陸とは一定の距離感をもってつき合うという宣言ではなかったかと、私はかねてから考えていました。なんといっても「和を以て貴しとなす」を憲法十七条の冒頭に記した太子です。
騒乱を繰り返す大陸の人たちとの交流はほどほどにしないといけないと考えたとしても不思議ではない。しかも日本は古(いにしえ)から不浄を極度に忌む国でしたが、中国は宮廷から庶民の家屋までロクに排泄設備のない不潔社会です。到底まともな交流はできそうにないと太子は思ったと推測されるのです。隋をモデルに「冠位十二階」を制定して、採るものは採ったが、捨てるものは捨てた。太子には、まさに天才政治家の面目躍如たるしたたかさがありました。
 徳川幕府も大陸との付き合いでは、きわめて限定的でした。キリシタンの拡大抑制のため鎖国政策を採ったといわれていますが、中国人の入国も長崎の街の一角に制限している。また福沢諭吉もいいます。「国際法を知りながら紛争のおこった場面では『悪いのはお前の方だ』と一方的に開き直って恥じることがない。この二国(中国と朝鮮)が国際的な常識を身につけることを期待してはならない」
 現代日本人のように「お互い引越しできない隣国同士。友好関係の追及は、避けることのできない宿命だ」などという妙な思い込みを私たちの祖先はもっていなかった、ということです。
 国際社会では「遠交近攻」が一つの知恵でした。近くの国同士は相互に欠点がよくみえるから付き合いは適当に抑えて、むしろ遠方の国々と親しくする。中国や半島とは一定の間隔をたもち、東南アジアや中央アジア、さらにはポーランドやバルト、南米など世界に親日国はたくさんあります。それらの国々と交流を深めることを考える。これまで中国や韓国に注いだ交流努力を、はじめからこれらの親日国に向けていたら、今ごろわれわれはどれほど多くの明るい成果を享受することができたことか。それがまた世界全体の繁栄にもつながったはずです。
 日中両国政府は「戦略的互恵関係」を謳って、双方がウイン、ウインの間柄だといい合ってきました。が、現在、中国全土には50もの反日教育施設があり、ここ20年来多数の入場者を迎えているといいます。この種の施設があれば、当然、一般の学校教育でも日常的に反日精神がたたき込まれているにちがいない。こんな日中の風景を第三者の欧米では「なんとも日本人のお人よし」としかみないでしょう。日本側は内政干渉といわれるのをおそれて中国政府に「反日教育などやめてほしい」ということができない。しかし「靖国参拝」では繰り返し繰り返し中国からの干渉を許している。互恵関係など“悪い冗談”でしかありません。
 野田政権による尖閣諸島国有化を機に中国で反日暴動がひろがりましたが、以前にも日本が国連の常任理事国入りをめざしたとき、また海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船の船長を拘束したとき、いずれも同じように筋違いの反日暴動が発生しました。これらはみな長期にわたる反日教育が実を結んだものとみて間違いない。
 さすがに今回は、日本人もあきれて「親中」から「嫌中」「離中」へと舵を切り始めました。水は低きに流れるように、国家同士の連携もまた、ウマの合う、波長がマッチする相手へと向かうものです。太平洋戦争後の日本人は外交の方向感覚を喪失して、誠意の通じる国とそうでない国との見分けができなくなっていた。ようやく正しい外交の姿勢制御ができるようになりつつあるというわけです。