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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



"鉄の女"は新しい日英関係を切り拓いた政治家でした


 マーガレット・サッチャーさんが今年4月亡くなりました。1979年から11年間、英国首相の地位にあり、斜陽の老大国にカツを入れ蘇らせた人です。率直なものいい、果断な政策決定、明快な大局観、そうした武器を駆使してフォークランド紛争に勝利し、米国のレーガン大統領と組んでソ連を冷戦終結に追いやり、「鉄の女」と呼ばれた政治家でした。享年87歳。
首相在任中、サッチャーさんは4度来日しています。1回目は首相就任直後、先進7カ国会議が東京で開催されたための来日で、日本をよく見る余裕もなく帰国しました。が、2回目の1982年には茨城の東海村やつくばのロボット研究所などを丹念に視察し、モノづくりにおいて日本人が世界に卓越した能力をもっていることをしっかり理解、日産自動車の英国進出を提案しています。その後NEC系の半導体工場がリビングストンに完成した折には、その開所式にサッチャー首相の要請を受けたエリザベス女王が臨席され、さらに日産工場の開所式にはサッチャー首相自身がテープカットに出かけています。
あのころ、日米は貿易摩擦で熱い論戦をくり広げていました。しかしサッチャーさんは回顧録で次のように回想しています。
「日本人に対する批判の多くは不当なものだった。日本人は皆のスケープゴートになっていた。日本人はほかの国民よりも余計に貯蓄している。その結果国内でも海外でも余計に投資することができアメリカの財政赤字をまかなっていたことは非難されるべきものではなかった。欧米の消費者がほしがったすぐれた自動車、安いビデオテープレコーダ、高級カメラを生産することについても非難されるいわれはなかった。しかしその両方ともが非難されたのである」
日本はユーラシア大陸の東側の島国。英国は同じユーラシアの西側の島国。日本が極東なら、向うは"極西"です。だから、なんとはなく昔からお互いを意識する関係がつづいて、あの日露戦争当時は日英同盟が機能し、日本はずいぶんすくわれたものでした。不幸にして第2次世界大戦では彼我敵対して戦い、お互い深い傷痕を残しました。戦後30年余りは日英関係も冷えたままでしたが、そこに友好と親善の風を吹き込んだのが実はサッチャー首相だったのです。
日本から英国への企業進出は日産以後もつづき、それら日系企業の誠実で熱心な働きぶりが英国全体に親日感情を広げ定着させました。最近でも日立製作が鉄道発祥の英国で、大量の鉄道車両の受注に成功。向こう16年のフル生産が約束され、日立は現地に新工場を建設することで対応しようとしています。
思えば、3・11東日本大震災の直後、イの1番、大きな日の丸のなかに「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」と第1面で日本語による支援アピールを送ってくれたのも英国のインディペンデント・オン・サンデー紙でした。さる4月来日した閣僚の一人は「日本の原子力発電所には深い感銘を受けた。不安はない」とコメント。さらに今秋にはアンドルー王子の訪日が予定され、日本と安全保障問題について討議することが計画されています。実現すれば「日英同盟・21世紀版」につながるのではという観測さえ出ているほどです。
白は白、黒は黒とはっきりいい、サッチャーさんは日本に対しても、批判すべきは容赦なく批判した人でした、それとともに日本人の本質についての彼女の洞察のたしかさは、他の米国やヨーロッパ諸国のトップにはみなれないものでした。彼女が遺産として残した日英友好の基礎は、いまや大きな流れに発展しようとしています。サッチャーさんとの永別に際して、そのことに私たちは深く思いをいたすべきであろうと考えます。