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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



テレビ放送も還暦を迎えて “冬の時代”に入っています


昭和28年にNHKでテレビ放送が始まり、続いて民放の日本テレビ放送網が開局しました。それから今年はちょうど60周年、還暦の年に当たります。

人もチャンチャンコの還暦を迎えると老年期。体力も衰えだすのが普通です。最近のテレビ番組は、もっと衰退劣化が激しくて、よそごとながら「これで大丈夫なのか」と心配になります。

「パパ、テレビがまたバカやってるよ!」と幼い子供がからかいだしたのが、もう20数年前。あれから是正の方向はみいだされることもなく、坂道をころげ落ちるように番組の内容はどんどん貧困化。社会学者の内田樹さんがいいます。「(テレビがだめになったのは)一流大学出の秀才たちがこの世界に殺到してから。秀才は本質的に“イエスマン”で、前例を墨守し上司の命令に従うのはうまいが、創造にも冒険にも興味がない。安定した組織を維持し、高給や特権を享受することには熱心だが危機的状況への対応や新しいモデルの提示には適さない。この先、テレビが復活する可能性があるとすれば、一度どん底まで落ちて、秀才がテレビを見限ったあとだろう」―。辛辣ですが、まことに的を射てる批判だと思います。

その秀才たちは番組制作をほとんど下請け任せ。彼らは制作の現場から離れ、視聴率と制作費だけに気をとられてきました。下請けが時代劇を制作するとします。娯楽性のつよいものでも、しっかり時間とカネをかけて時代考証しなければなりません。しかし、現実はテレビ局からでる制作費は絞るだけ絞っているから、時代考証にはどうしても手が回らない。そこで、江戸の女がアグラをかいたり、宙を飛んで忍者もどきを演じたりする。「こたび(このたび)」と「しんのぞう(心臓)」のふたことを入れさえすれば時代劇の台本はできる、とまでいわれる結果になっています。

現代もののドラマも、温泉旅館を舞台にしたものが頻出する。制作クルーの宿泊費、食事代を旅館が負担してくれるから。

バラエティ番組の惨状も同じ。ロケなどは省き、スタジオにタレントを集めてトークショウを演出しますが、ギャラをケチって、「人数を減らした上、芸人を2流から3流にするのが、今の局の常識」とテレビマン自身が楽屋裏を披露しています。また以前、タクシー通勤だった花形の女子アナも最近、始発電車でお出ましとか。

このようにケチって、ケチってつくった番組をみせられているが、今の視聴者。それでいて各テレビ局の秀才たちは平均年収1300〜1400万円をがっちり確保している。彼ら自身、タコのように自分の足を食っているということを知りながら…。

ここ数年、若者のテレビ離れはかなり深刻。20代男性の7人にひとりは「全くテレビを見ない」。みる人も、この世代、1日の視聴時間は1〜2時間以下が60%。よくみるは70代で、1日平均4時間半以上。ところが、番組にしろコマーシャル(CM)にしろ、高齢者に適応することができない。これまで通り、若者受けするものばかり流している。

「面白くなければテレビじゃない!」と檄をとばして長期、視聴率首位を独占してきた局が昨今、こけて低迷しています。3・11の東日本大震災を転換点として視聴者の意識はがらりと変わったのです。ウハウハ、テレビと一緒に「バカやってる」ときではなくなった。国民の、この意識転換、知ってや知らずや、秀才たちの局は転換についていけない。先の内田さんが指摘する「危機的状況への対応や新しいモデルの提示には適さない」の、そのまま。「秀才」とは、なにを隠そう、実は「醜才(しゅうさい)」だったのです。