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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



和食の無形文化遺産登録は、あまりにも遅すぎたのでは…


昨年12月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が「和食―日本人の伝統的な食文化」を無形文化遺産として登録しました。すでに登録済みの「フランスの美食術」「地中海料理」「メキシコの伝統料理」「トルコのケシケキ(麦がゆ)の伝統」の4つの遺産が、いずれも「料理」を対象にしているのに対して、和食は、料理も含めて食具やマナーなどいっさいを包括した「食文化」が登録された点で異例です。
この登録の報に接したとき、イの一番に思い出したひとつのエピソードがあります。それは北関東の、ある温泉旅館にふたりの金髪の若い女性がやってきたときのこと。ふたりはアメリカ人で、東京の大学への留学生ですが、来日してまだ半年、日本語はまことにたどたどしい。夕食どき、例によって彼女たちの部屋にもお膳が運ばれます。ふたりは仲居さんの所作を興味深くじっとみつめていました。ひとりが仲居さんに尋ねます。
「チュウゴク、ハシ、タテ、シマス(箸を縦向きに置きます)。アメリカモ、ナイフトフォーク、スプーン、ミナタテシマス。ナゼ、ニホン、ハシ、ヨコシマスカ(横向きに置きますか)?」
突然の質問に、仲居さんは当惑。「う〜ん」としばらく考えてから、「やっぱり箸を縦に置くなんて、はしたないですものね」といって逃げるように部屋を出ていきました。調理場に戻って仲間にこの話をしながら、仲居さんは「あらっ、私って結構、ユーモアのセンスあるんだわ。箸が、はしたないなんて―」
しばらくしてお膳を下げるため、仲居さんは再びふたりの部屋へ。すると待ってましたとばかり、ふたりが責め立てるのです。
「アナタ、ハシ、タテスルト、キタナイ、イイマシタ。ナゼデスカ!ドウシテ!」
来日して間もない留学生は「はしたない」などという"高度な日本語"に出会ったことがない。てっきり仲居さんは「ハシ、キタナイ」といったのに、「キタナイ」の「キ」を聞き漏らしたと彼女たちは考えた。いやはや、仲居さんは、この日本語をめぐってまたまた大汗をかいてしまいました。
ところで「われらは、すべてのものを手で食べる。日本人は男女とも、幼児のときから二本の棒で食べる」と「日本覚書」に記したのは、16世紀の半ば、布教に入った宣教師フロイスです。このころ来日した神父たちはみな日本の食事風景の清潔なのに舌を巻いている。なにしろ当時のヨーロッパの食事ときたら不潔そのもの、マナーは野蛮そのもの。山内昶著「食の歴史人類学」が、そこのところを詳しく書いています。中世フランスでは皇帝からして木製のテーブルにいくつも窪みをつくり、そこに料理を入れて食べていた。宮廷に出入りして饗宴にあずかる人たちの規約や礼儀作法集には「テーブルの上に唾を吐いてはならない」「皿に痰を吐かないこと。テーブルクロスでハナをかまないこと」など、まるで幼稚園の園児を諭すようなセリフが並んでいる。「スープに浸したパンや噛みちぎったパン、一口かじった料理を鉢や皿にもどしてはならない」「食事中に手を耳の中に突っ込んだり、目をこすったり、鼻をほじくったりしないこと」
まったく日本人には信じられないようなことばかり。「キタナイ」食事の本場は、じつはヨーロッパだったのです。しかも山内氏は「(食事中)ナイフによる戦闘の危険があった」とも書いています。ナイフやフォークを縦向きに置くのも、いざ争いや取っ組み合いになったときの用意で、その名残が現代に伝わっているということでしょう。和食の文化遺産登録は遅きに失したともいえます。