ほのぼのマイタウン 街・家族の活性化を支援します 小平市・東久留米市・清瀬市・東村山市・西東京市を結ぶ手作り情報マガジン

> エッセイ・自分たち探し 目次


もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



STAP細胞事件は理系集団の限界を教えてくれました


「日本は世界でもめずらしいほど職人を尊ぶ文化を保ちつづけてきたが、近隣の歴史的中国や歴史的韓国が職人を必要以上にいやしめてきたことにくらべて、"重職主義"の文化だったとさえいいたくなる」
これは司馬遼太郎が書き残した1節です。「歴史的日本」は職人を大名待遇にする例があるなど、刀工から陶工、石工まで広く職人全体を尊重してきました。
明治19年東京帝国大学が誕生したとき、工部省工部大学校を吸収して世界初の総合大学による工学部設置をみたのも、この重職主義を引き継いだことになります。
昭和になって、パナソニックの始祖、松下幸之助が新技術の開発による特許料を山のように築いて、それで国民を養い、「無税国家」にしようと主張しました。これも重職主義を発展させた「技術立国」「科学立国」の究極の姿を描いてみせたものでしょう。
ただし、重職主義にも負の側面はあります。大企業のトップに理系が多く、それだけ企業内での理系の発言力が強いため、消費者を無視して過剰な機能を付加した製品を市場に送り出すケースなどが頻発します。また、霞ヶ関のある官庁では理系が隠然たる力をふるって省内全体を壟断している。「技監は文系の役人がバカにみえて仕方がないようですよ」と、この省の中堅は語っています。
こうした理系の負の典型例が理化学研究所(理研)の小保方晴子事件。今年1月小保方さんが新型のSTAP細胞の作製に成功したと記者会見し、メディアはこぞって「世紀の大発見」とはやしました。が、そのわずか2週間後、彼女の研究論文に不正疑惑がもちあがり、またまた日本中が大騒ぎ。理研はただちに小保方さんの失態にメスを入れる調査委員会を立ち上げましたが、その委員長自身の論文にも瑕疵がみつかり、辞任。その他の調査委員にも相次いで似たような問題が浮上しました。
理研は100年近い歴史をもち、年間830億円余の血税に支えられて科学立国の誉望を担う存在です。天下の理系の秀才中の秀才、エリート中のエリートを集め、いまやその研究動向は海外からも注目されて「世界の理研」となっています。しかし、今回の小保方事件によって理研はすっかり国民の信頼を失った。いったいなぜ、こうなったのでしょうか。
「理研にはチェック体制がまったくない」といったのは上昌広・東大特任教授。政府も国民も、理研内部の高度の研究の中身は理解できません。また秀才たちは性善なる人々だという信仰が、むかしからこの国にはあります。それやこれやでどこからも批判されない一種の聖域ができてしまった。これが最大の誤りだったのでは…。エリートといえども人間。独善的になったり、堕落したり、バカもやる。現に、「STAP細胞はあります。200回作製に成功しました」といっている小保方さんを再現実験からはずして別の研究員に任せることにしたあたり、かなり理研はズッコケている。「小保方は不正があったから信用できない」にしても、本人が「STAPはある」といっている限り、彼女に再現させてみなければ決着はつきません。外部の有識者(文系中心)でつくった理研改革委員会は、さすがにその点に注目、小保方さんを再現検証に参加させるべきと勧告し、理研もそれに従うことになりました。
要は、エリートにも重職主義にも、当然、負の面があります。それを克服するために理系社会を聖域化することなく、透明性を高めていく。理研は、チェック部門とともに広報部門を置き、定期的に内部の研究成果を、許される範囲で分かりやすく発表し、国民との接点を設けたらいいと思います。