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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



今後、ノーベル賞受賞者が日本から多数輩出するでしょう


 今年、赤崎、天野、中村の3氏のノーベル物理学賞受賞が決まり、これまでの自然科学系の日本人受賞者は全部で19人になりました。これは米英独仏に次いで世界5位。しかし2001年以降、つまり21世紀になっての受賞者をみると、日本人は13人。英の10人、独、仏のおそれぞれ6人を抜いて米国に次ぐ世界第2位を占めます。
 20世紀の100年間に6人の受賞者だった日本。それが21世紀の14年間で、もう過去100年の2倍以上を受賞しました。最近の受賞急増は日本だけに限ったものです。これをいったいどう考えればいいのでしょうか。
 開国後間もない1885年(明治18年)、ベルリン大学のコッホ研究室に留学した北里柴三郎は、翌年早くも破傷風菌の純粋培養に成功したあと、その治療法を開発。さらにジフテリア菌の培養法、血清療法も創出して研究仲間を驚かせました。だが、1901年の第1回ノーベル医学賞を受賞したのは同じ研究室のドイツ人ベーリングでした。「後年、ノーベル賞選考委員会の資料が明らかになっている。それには第1回ノーベル賞受賞者として黄色人種はふさわしくないと書かれていた」(「天才と異才の日本科学史」)のです。
 この人種差別は、当時の世界的な同様の潮流のなかで、その後もずっとつづきます。赤痢菌発見の志賀潔、アドレナリン発見の高峰譲吉、地球の緯度変化におけるZ項発見の木村栄、原子模型を提唱した長岡半太郎、うま味のグルタミン酸塩発見の池田菊苗、オリザニン(ビタミンB1)抽出の鈴木梅太郎ほか、明治の研究巨人が相次ぎ登場しましたが、ノーベル賞委員会は一顧だにしません。
 大正、昭和になっても、梅毒スピロヘータ発見の野口英世、X線の回折原理を発表した寺田寅彦、人工的にガン細胞をつくった山極勝三郎、ワイル氏病・病原体発見稲田竜吉と井戸泰。応用化学領域でもテレビの柳健次郎、櫛形アンテナの八木秀次、フェライトの武井武らが、まさに百花繚乱、赫々たる歴史的成果を残しました。が、戦前、ノーベル賞受賞はゼロ。それどころか研究を横取りされたうえ、「日本人に盗まれた」と濡れ衣を着せられたり、欧米が特許を先に申請して逆に特許料を請求されたり、山賊まがいの被害にあっています。
 人種の壁を突き破って湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞したのはやっと1949年(昭和24年)。それから50年を経て21世紀を迎え、ノーベル賞委員会は本格的に古い人種観と決別しようと考えたのでしょう。日本人に受賞者が増え、近年、アジア、アフリカ人の文学賞、平和賞受賞が目立っています。
 明治維新後、日本は国を挙げて西欧文明の吸収に努めました。吸収に夢中のあまり、欧米からは日本はものマネ好きの国と思われるようになった。「サルマネの国」といわれ、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領など、「ジャップはサル。サルはあの4つの島に2千年閉じ込めねば…」が口癖でした。日本人のなかにさえ、「われわれは模倣好き」と思い込む人も少なくなかった。しかし日本人の独創性は一般に考えられているよりはるかに強い。鋭い感受性、繊細な観察力、深く公を想い、人間として、また研究者として純度が高いのです。だから欧米人によく騙されたりもします。「研究者もどんな人格をもっているかということが最後の決め手になる」とはノーベル賞級の光ファイバー開発を遂げた西沢潤一・元東北大学学長の言葉。
 今後、ノーベル賞委員会が「日本人ばかりに受賞させるな」という欧米の声を振り切って公正な選考をする限り、日本から多数の受賞者が輩出する可能性は大きいとみることができるのです。