ほのぼのマイタウン 街・家族の活性化を支援します 小平市・東久留米市・清瀬市・東村山市・西東京市を結ぶ手作り情報マガジン

> エッセイ・自分たち探し 目次


もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



もうひとつの隣国を忘れないようにしたいものです


 近ごろの新聞には、東南アジア関連の記事がふえていますが、昨秋「フィリピン、造船で世界4位」という見出しをみつけたときは、正直、驚きました。つづいて今春、「ブランデーの販売量世界一」の会社がフィリピンにあるという記事と出会って、またまたびっくり。
 というのも、この国は東南アジアでも最貧国の一つとも"アジアの病人"ともいわれてきたのですから…。首都マニラ近郊のトンド地区は、30万人が暮らす世界有数のスラム街。年中くぶっている巨大なスモーキーマウンテン(ゴミの山)。自転車にサイドカーをつけただけのトライシクル(人力タクシー)。米軍が残したジープを改良したジムニー(小型バス)。それに国民の1割、1千万人が海外へ出稼ぎ。長期にわたるモロ・イスラム解放戦線(MILF)との内紛。これまで、そんなものしかイメージできなかったのが多くの日本人といっていいでしょう。
 しかし、2010年誕生したアキノ政権はMILFとの和解をすすめ、停戦協定締結も間近かといわれています。内政統治もよろしきを得て経済は活性化。GNPの伸び率はここ数年、東南アジア諸国連合(ASEAN)のなかでも最高の5〜6%台をマーク。海外で働く人の送金3兆円(年間)が経済をしっかり下支えしているのです。
 今年、フィリピンの1人当たりのGNPは3000ドルに達します。この3000ドルという数字、経済発展への離陸点。中間層が拡大し中進国の仲間入りする指標でもあるのです。しかも昨年、総人口が1億人の大台に乗りました。国民の平均年齢は、なんと23歳といいます。若年層が圧倒的に高い比率を占めて、今後の伸びシロがきわめて大きいことを示唆しています。
 スペインの支配下300年、その後米国の植民地だったフィリピンでは、国民の大部分がキリスト教徒で英語を話します。いくらかラテン系のにおいのする英語だという人もいますが、インド人などに比べるとはるかに訛りの少ない英語で、近年、米国、豪州といった英語圏からのコールセンター受託がふえています。
 さて日比関係ですが、太平洋戦争下、戦場となったこの国で旧日本軍と米比軍が交戦、マニラでは市街戦が繰り広げられました。そのため戦後しばらくは決して良好な関係とはいえなかった。しかし、現在フィリピンは熱い親日国に変貌。むしろ日本側の同国への関心がイマイチで、向こうの片思い状態といっていいと思います。
 もともと両国には多くの近似性があります。ともに島国で、日本の6千余りに対して比は7107の島嶼。お互い、よく火山の噴火や台風に見舞われ、モンスーン域に属して高い湿度に悩んでいます。むかしから高床式の家屋や倉庫が普及しました。かつての両国の男たちのフンドシも共通文化のひとつとして挙げることができるでしょう。
 弥生時代、中国・雲南からも日本列島に渡来したとの説がありますが、フィリピンからも相当数、島伝いに北上してきたはず。米づくりはフィリピンでも盛んで、現在"ライス・テラス"と呼ばれる棚田もあります。棚田はそこの住民の勤勉さの象徴ですが、出稼ぎフィリピン人の仕事ぶりはなかなか好評。「東南アジア各国を廻ったが、安定的に優良な船員を供給できる国はフィリピンだ、との結論になった。彼らは英語が話せ、協調性に富む」(宮原耕治・日本郵船社長)などと。
 沖縄のすぐそばのフィリピン。間違いなく日本の隣国です。しかも中国や韓国とちがって、かなり似通った国民性をもっている。要するにフィ―リングが合う国なのです。それが経済的にも大きく飛翔しようとしている。もう一段高い日比友好の時代が幕を上げようとしています。