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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



「弁証法的唯"食"論」というのをご存じでしょうか



 フランス革命前夜の18世紀半ばは、ルソーが「民約論」を発表したり、マルクスが「資本論・第1巻」を刊行したり、いってみれば"哲学の季節"でした。
 そのマルクスの兄貴分に当たるフォイエルバッハも実存主義哲学の唯物論者ですが、次のような発言を残しています。
 「人は、その食べるところのものである」
 これ、唯物論というより、むしろ「唯食論」ではないか。もっとも「唯食論」は筆者の造語ですが…。考えれば個人が「食べるところのもの」であるなら、民族はもっと「食べるところのもの、そのもの」でしょう。
分かりやすいので韓国を例にあげます。彼らの国民食はキムチ。野菜をトウガラシとニンニクで漬けて朝鮮半島では千年来、親しんできました。韓国人は日頃からいいます。「キムチがなければ暮らせない」。事実、ベトナム戦争に参戦した韓国軍の士気がいまひとつ盛り上がりを欠いていると伝えられると、当時の朴正煕大統領は大統領命令を発して大量のキムチ缶詰を補給した話は有名。世界文化遺産にも「キムジャムーキムチ作りの文化」が登録されました。
キムチが韓国の国民性に影響を与えていることは否定できません。すぐ感情を爆発させるのは刺激性のつよいトウガラシから。粗いけど短期的に大規模プロジェクトを仕上げたり港湾など24時間休みなく稼働したり、実に精力的に働く民族性はニンニクから。唯食論では、そうみることができます。
隣の中国。以前から"悪食(あくじき)天国"の異名をもつ国で、まさにアナーキーな食文化が特徴。「空では飛行機、海中では潜水艦。これ以外はみな食べられる」と中国人自身が自嘲気味に話します。中国からの訪日客の、いわゆる"爆買い"やホテルでの大騒ぎなどは、彼らの特異な食文化の延長線上のものといっていいでしょう。
振り返って私たち日本人はどうか。この欄でもこれまでもしばしば唯食論の視座からユニークな「草食文化」に言及しました。縄文以来、日本列島では植物系の食材に軸足を置いた食性が貫かれました。肉食が広がったのは1万数千年の日本史のなかで、ごく最近の半世紀ばかり。それも海外諸国と比較すると、いまでも肉類の消費量は圧倒的に少ない。したがって民族性は植物的。物静かで周囲への細かい配慮を怠らず、一見、横並びを大事にするようで、実質は多種多様な世界です。きわめて多彩な中小企業の展開がその証し。スポーツでもあらゆる種目に日本人がいます。そのうえ鮮度志向や緻密性が濃いのも草食文化がもたらすものです。
反面、欠点も多い。なにより植物同様、受動的な性向が目立ちます。そのため決断に時間がかかるし、危機意識も薄い。また積極果敢な発信力がない。こうした欠陥は、この国の外交に露呈します。先進国で日本外交ほど拙劣な国はありません。また草食・日本人の宿痾ともいえるのが視野の狭さ。前々からマスコミがなんども「この国には国家ビジョンがない」と政府を批判しますが、いまだこれという国民の琴線に触れるビジョン提示はありません。4年後の東京五輪の旗になるビジョンづくりも完全に失敗しました。
食から民族性をみる「唯食論」この視座はあらゆる国に共通して使えます。その意味で、あえて「弁証法的」をかぶせました。
◇  ◇  ◇
13年余り、80回、このエッセイ欄を担当しながら愛する日本人を想い、世界でも特異なそのキャラクターの本質を考えてきました。「弁証法的唯食論」は長い間この欄をご愛読いただいた皆さまへの最後の贈り物とさせていただきます。どうぞお受取りください。長い間、本当にありがとうございました。