ほのぼのマイタウン 街・家族の活性化を支援します 小平市・東久留米市・清瀬市・東村山市・西東京市を結ぶ手作り情報マガジン


多摩をつなぐ


 千年に一度と言われる未曾有の東日本大震災。被害の甚大さが広範囲にわたり、原 発問題を含め未だに復興の道筋は不確か。そして決して他人事ではない。一方、心温 まる支援活動や現地の人たちの節度ある行動、ひたむきさは、世界的に注目され、 我々日本人が誇れるものともいえる。
 新年度「東京TAMAタウン誌会」では、多摩地域の支援活動や防災活動に目を向 け、紹介する中に地域の絆や防災へのキーワードを見つけ出してみたい。



多摩交流センター・東京TAMAタウン誌会共同企画記事

フットワーク活かし、被災地と地域の暮らしをつなぐ
福生青年会議所


日本全国704拠点を持つ青年会議所(=JC)。20歳から40歳までの若者世代が自ら会費を出し合い「まちづくり」の団体として運営にあたっている。日頃は各JCが地元に根付いて活動を展開する一方で、都、関東、全国とネットワークを持ち、時には世界的規模で仲間と交流、共同事業も行っている世界的組織だ。
「日本の一大事、何とかしたい」という思いは同じJC。今回は福生市、羽村市、瑞穂町を活動エリアとする福生JC(佐々木美之理事長)の支援活動を取材した。

○ネットワーク活かし、支援の手を差し伸べた2011年

2011年3月:福生市内での街頭募金。何をするべきか?
思いが先走った支援活動のスタート

福生JC(岡田丈尋理事長・当時)東日本大震災への支援活動が始まったのは2011年3月17日。街頭にメンバーが立ち募金を呼び掛けた。食糧、燃料、簡易おむつなど援助物資も集めて、それぞれ仕事を休み有志が宮城県岩沼市の避難所へ搬入し、数度の炊き出しを行った。この間メンバー自らが被災者となっていた仙台JC、石巻JCなどと情報交換を通じて支援が続いた。「安全も考慮しながら、支援したいという思いをいかにダイレクトに届けられるか?」と岡田さんの気持ちは揺れた。そんな時JC間のネットワークは威力を発揮。宮城県あぶくまJCの協力で同県亘理町への継続支援が決まり、7月まで5回、延べ90人のメンバーが炊き出し、ヘアカットなど交代で出向いた。時には現地の声に直接耳を傾ける活動やジャズバンドの演奏なども発案されたという。
「7月半ばにガレキ撤去にいきました。日常生活をうかがわせる品物が至る所から出てきました。切なさを我々が感じる一方で、『遊びに来て、お土産を買って帰って!』など訪れる者を受け入れる精神的な余裕が被災地にも生まれてきていることを感じました」と佐々木理事長は当時を振り返っていた。
 8月の福生七夕まつりでは、被災地避難所で生まれた「にんにくオニギリ」をメンバーが販売。被災地農家を招き、特産物の販売が行われるなど被災者自身の自立に向けた支援活動も始まった。秋になり震災半年を記念し開催された「がんばろう宮城!In ABUKUMA」では福生市のB級グルメ「福生ドッグ」を現地で販売。売上金を地元被災地小学校(長瀬、荒浜小学校)へ寄付するなど支援の方法もステップアップ。この頃になると「地域で支援活動をする団体の役に立ちたい」と美容師の組合、野球指導者の集まりから寄付を受けるようになり、現在も福生JCへの寄付は続いている。
 冬を前に仮説住宅の被災者とは別に壊れた自宅で生活する被災者への行政の支援は届かなかったという。寒さが厳しくなる年末。寄付金で買った毛布を届ける頃には、延べ130人が被災地へ足を運んだ。

○復興を考えるきっかけを創る2012年

2012年3月:福生市役所での支援活動写真展。積極的に現地特産物紹介のチラシも配布した

 「年が明けると我々メンバーのはやる気持ちも、やや薄らいできました。地域によって差のある支援状況、仕事場の再開など、まだ復興は始まったばかりなのに…」と語るのは、福生JCで支援活動を担当する佐藤和義委員長。
 これまで十数回仲間と被災地を訪れ、現地のラジオ局や地域紙との関係もあり、支援への思いも人一倍強い。今年からは上部会である東京ブロック協議会の復興防災委員会副委員長も兼務している。6月に開催された同協議会のイベントには被災地と都内の高校生との交流会を開催した。
 「被災しているのに彼らが元気で輝いて見えるのはなぜ?」そんな声を東京の高校生から聞いて嬉しくなったという。一方で都内で暮らす避難民と地元で踏ん張っている被災者の気持ちのズレを感じて落ち込むこともあったという。
「現地を訪れ、我々の体験を地域に伝えること、JCのネットワーク、被災地との関係を生かして我々自身の生活や生き方を考えるきっかけを創作していかねば…」と支援活動のこれからを語ってくれた。現在福生JCでは秋に向けて市民と一緒に現地を訪れる支援活動や放射能問題を専門家から学ぶ機会を企画しているという。
 若者の行動力と全国的なネットワークを生かした彼らの活動が、被災地のみならず、我々自身の意識や暮し方に新しい光を投げかけてくれるよう期待したい                      

(取材・西多摩新聞社)