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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



「箸」は端(はし)には置けません

 「ああそうか そういうものか 秋の風」
   こんな飄々とした句を残して、多田道太郎さんは昨年暮れ亡くなりました。  フランス文学者で京大名誉教授。しかし「ぼくは学者の世界からずり落ちて…」といい、 盛り場やパチンコ、マンガなどを研究した人でした。
 多田さんは著書「身辺の日本文化」のなかで「ステテコとかちゃぶ台とか、 ナウくもなく香ばしくもない事物に心ひかれる」と書き、日常の、 ごく卑近なものにひそむ価値について、次のように叫んでいます。
 「皮相なものこそもっとも深刻であります。身近なものこそもっとも迂遠であります。  神というものがあるなら、それは身近な些事に宿るでありましょう」
 この著書には、箸の話もでてきます。「人間の道具というものは、すべて人間の体の延長で あるという、延長説があります。自動車は人間の足の延長であり、テレビは人間の目の延長だと。  そういう延長のいちばん素朴な形が(手の延長の)フォークで、それで突き刺す。串刺しにする。  およそ操作性のない野蛮なものです。それに比べると箸は二本の棒をもって、 それで操作する。ある種の操作を加えないと、道具としては役に立たない。  日本の箸のほうが高級な文化だということができます」
 周知のように日本は中国、朝鮮、ベトナムとともに箸文化圏に属します。  が、スプーンと箸を併用するところが多く、日本だけが箸オンリーの国。  その分だけ日本人は手先、指先の操作性がよりシャープだといえます。  宇宙飛行士の若田光一さんが無重力の宇宙空間でロボットアームを手探りで動かし 宇宙ステーションに通信装置をドッキングさせたとき、NASAの基地は 「ワカタの手は神の手だ」と涙を流して喜んだものでした。いま同じように神の手で脳の 腫瘍を開頭手術なしに、鼻孔から脳内に入れた微細なメスでかき出す。  そんな日本の脳外科医が各国を飛び回っています。さらに高精度の内視鏡開発など、 ナノ・テクノロジーで他国に先行する技術者たち。みな箸だけ使う国が育てた貴重な 世界的人材です。
 ところで、16世紀に来日したイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは「日本覚書」に記しました。
 「われらは、すべてのものを手で食べる。日本人は、男女とも、幼児の時から二本の箸で食べる」
 「われらにおいては、四歳児でもまだ自分の手で食べることができない。日本の子供は三歳で箸を使ってひとりで食べる」
 500年前から、つい数十年前まで、ちゃんと親が子供を躾けていました。しかしいま、この国では箸をまともに使えない子供ばかり。  ある調査によると箸を正しくもてる子は小学校低学年で10%、中学、高校で20%台。いや、 子供だけではありません。30歳代で、やっと50%台。50歳以上の高齢者でも約65%。つまり、 もう親が子を躾けることができなくなっている現状が浮かび上がってきます。
 「叱らない。辛抱させない。仕事(家事手伝いなど)をさせない。食事のマナーを教えない。  躾けはなあ〜んにもしない」の頭文字をとって「親の手抜き、五つのS」という話をしていた人 がいました。
 箸の問題は、ただたんにマナーとか躾の次元にとどまりません。日本人にとっての箸は、 あらゆる意味で生活の基本のなかの基本。正しい箸の使い方は頭脳の機能やモラルの問題に つながっているという説もあります。したがって学力の低下はもちろん、少年非行の増加、  社会の弛緩や荒廃などは、箸の使い方の乱れと比例している可能性だってあります。
 まさしく身近な箸こそ、実に深刻であり、かつ迂遠なテーマなのです。