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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



ノーベル賞作家がみた明治日本

 現代は、いってみれば「情報糖尿病」の時代。 玉石混淆、いろんな情報が入り乱れて錯綜し、ものの本質が見えにくくなっていることはなはだしいといえるようです。
 そこへいくと明治のころは、外国人も日本の本当の姿を比較的見抜くことが容易だったような気がします。 まだ、外国の文化もさほど侵食していない、純粋な日本が残っていたのですから。

 ラディアード・キプリングが長崎に上陸したのは明治22年。 1ヶ月足らずの滞在でしたが彼はきわめてユニークな日本論を残しました。 当時は内外ともに、だれも振り返ることのない論評でしたが、いま本棚の隅からほこりを払ってページをめくると、 まだ23歳の若いこの作家の鋭い洞察力には頭がさがるばかり。さすが、 のちにノーベル文学賞を受賞しただけのことはあります。

 長崎から京都にでて、キプリングの感性はいよいよシャープになります。 「日本人はほんとうにすごい。石工は石と、大工は木と、鍛冶屋は鉄と戯れ、芸術家は生、 死、そして眼に入る限りのあらゆるものと戯れる。そこに最後の一刷けにあたる性格のつよさを持っていさえすれば、全世界を手玉にとって戯れることさえしかねない国民だ」。 彼の悲鳴にも近い賛嘆のうめきが聞こえてくるようです。ここにある「戯れる」とは、どう解釈すべきでしょうか。石とも木とも鉄とも、また生死のほか視界に入るすべてのものを日本人は客観視していないのです。石に木に、また鉄に入り込んでいる。没入している。一体となっている。京都で彼は見たのでしょう、日本人の職人や芸術家の工房を。彼はインド生まれのイギリス人。若いなりに、すでにいくつかの国をみている。それとの比較において、日本の職人、芸術家の仕事っぷりにただならぬものを感じたのだと思います。

 キプリング来日の年は、たまたま日本で帝国憲法が発布された年。彼はいいます。 「世界中で憲法というものを持つにふさわしい国はたった二つ。それはイギリスとアメリカだ。要するに芸術と無縁の国で、イギリス人の芸術性は断片的。アメリカ人は数人の大金持ちが目立つ芸術品を買いあさり、みせかけだけ芸術的であろうとしている。そこにいくと日本人は人類の平均値よりはるかに高貴な精神を与えられ、馥郁たる芸術性にあふれている。こんな国民が憲法を制定すれば最悪の事態を招くだろう」 「日本人は生まれつき持っている権利を売り渡し、それと引き替えに得たものは、平等に騙されるという特権にしか過ぎなかったと思い知る時が将来きっとくるにちがいない」
 四方八方、外交で押しまくられている戦後日本を、もののみごとに予見した明晰。憲法のようなくだらないものはアングロサクソンに任せておけばいい、というわけ。憲法ごときと芸術とは対立するものだからというのです。

 そして彼は次のような型破りの提案をします。 「日本に対して国際的な委任統治制のようなものをつくってはどうだろう。他国が日本を侵略したり、併合したりする心配を取り除き、同時に日本が必要とするだけのカネを提供するのである。ただし、日本は静かに現状を守って美しいものをつくりつづける。この国全体をガラスケースに入れて保存するというのは世界がやってみる値打ちのあることではあるまいか」

 こういう記述を読んで屈辱的と思う日本人は多いでしょう。またあまりにも荒唐無稽な提案と一笑に付す人も少なくないでしょう。だがしかし、わが国が現在、日米同盟と国連に国防を依存する現実を冷徹にみるとき、それは形を変えたガラスケースである、といってもおかしくはないのです。