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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



考えてみればみんなシロウトじゃありませんか

 
 昨年9月、野田内閣が発足して9日後、自らの失言で辞任した経済産業大臣がいました。福島原発視察のあと、記者を前に「福島は死の町」「放射能を(きみたちに)つけてやろうか」といったのが命取りになりました。自分がもっている刀が、鞘を払って刃を剥き出しにし、自分の首を刎ねてしまった。時代劇映画のキャッチコピーによく、「快刀一閃!」などというのがありますが、「一語一閃」、大臣が自分で自分の首を刎ねたわけです。
「一語一閃」は、まだあります。「私は防衛のシロウトだから市民の目線で…」と、同じ野田新内閣に起用された防衛相の発言。すぐに野党やマスコミから「国の生存を賭ける国防をシロウトにまかせるのか!」と餌食にされ、3カ月後、参議院で問責決議に遇い、明けて新年早々、ついに大臣更迭と相成りました。
 しかし、考えてみると現在の内閣の閣僚はほとんどがシロウト。首相からして財務官僚制作の振り付けどおりの言動に終始している、といわれています。シロウトだから人を見る目もなく閣僚人事は的外れのものばかり。前々首相は、「学べば学ぶほど普天間の移転は辺野古しかない…」などといい、また前首相にいたっては外国の元首との会談で、挨拶のセリフまで官僚の作文を棒読みする始末。まさにシロウトのオンパレードです。
 シロウトの対語は「プロフェッショナル」。プロは、その仕事に取り組む気概、覚悟が当然欠かせない。同時に、経験と実績が問われる。日本の閣僚は、かなり以前からシロウトでいい、プロの官僚が取り仕切ってくれるから、といわれ、首相の椅子にも何代にもわたって過去になんら実務経験のない人が座ってきました。選挙の当選回数が多い、2世、3世で毛並みがいい、高い知名度があるというだけで、国政のトップを担うというのはひじょうに問題があることが、近年、いやというほど明らかになったのです。
 国会議員には、都道府県や市町村の首長として組織を動かした経験のある人が結構います。また企業経営において組合とも対決し、人を識別する眼力を身につけて政治家に転身した人も少なくない。ところが、地方の首長とか企業経営者などは、既成政党の幹部で国会に長くいるベテラン政治家からすると1段格下というような見方になる。霞ヶ関の中央官僚が、地方自治体の職員を無能呼ばわりする明治以来のカビの生えた古いセンスと同じです。
 地方や民間を格下とみる一方で、逆に国会議員や中央官庁から都道府県知事や政令都市のトップに天下りする人が目立っています。東京都から埼玉、千葉、福島、岩手まで、知事は軒並み国会議員だった人。中央官僚出身の知事を加えると、全国都道府県知事の半数以上が国会ないしは官僚出身になるのではないでしょうか。
 アメリカの模倣はしたくないけど、大統領候補には州知事として実績を挙げた実力派が推される。レーガン大統領などはカリフォルニア州知事として立派な成果を残し、連邦のトップの座につくと期待にたがわず敏腕を発揮しました。大統領選挙は全米挙げての大騒ぎですが、抑えなければならない基本はちゃんと抑えている。バカ騒ぎしているように見えて、アメリカという国は愚直といっていいほど基本に忠実なところがあります。
 先般のわが国政選挙に、地方の首長が中心になって組織した新しい政党がお目見えしました。ところが同党が全国であつめたのはわずか50万票余り。1議席も獲得できなかった。この選挙結果から有権者もまた、国の政治と地方政治に格のちがいがあると判断したことになります。有権者も、残念ながら候補者の選別において、シロウトだということになります。