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もう一度読みたい【エッセイ・自分たち探し】
 フリージャーナリスト 國米 家己三さんのシリーズエッセイ



国会決議にも奇妙なものがありますね


ちょうど6年前の2008年6月、国会で奇妙な決議が採択されました。それは「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」。
北海道選出の議員らが提出したその決議案が、他の議員にまわってきたのは採択の前日。ある議員の話では、審議も討論もないまま、本会議で議長が「この決議案にご異議はございませんか。異議なしと認めます。よって本案は可決されました」と宣言、あっさり全会一致の採択になったといいます。それも衆議院と参議院の両院で…。
この国会決議の前年9月、国連で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されています。南北アメリカやオーストラリアなど新大陸に先住した、いわゆるインディアンやインディオ、アボリジニが白人の植民によって奪われた自由と権利を回復し平和に暮らすための基本的人権を国連として保障するというものです。この問題でまだ多くの課題を残しているアメリカとカナダが宣言採択に反対したのはちょっと滑稽な感じもしますが、日本の国会はこの国連宣言にならったようです。
しかし、アイヌの人々は、北米の先住民や南米のインディオのような異人種で先住民なのでしょうか。縄文時代にさかのぼると、北海道と本州の津軽との往来は盛んで、同じ縄文人同士が交流していました。そのご弥生時代になって日本列島では稲作がはじまりますが、残念ながら北海道は寒冷地のため稲作がかなわず、弥生時代から江戸時代まで、本州との交流がとだえてしまいます。北海道の縄文人たちは。近代まで縄文時代そのまま、海獣や鹿、熊などを対象に狩猟中心の生業を営んできたのです。その人々がアイヌですから、彼らは縄文の"本家"の末裔といっていい存在。それに対して弥生以後、渡来人と交わってきた本州の日本人は縄文の"分家"の子孫ということになります。が、両者はともに同じ祖先をもつ日本人同士です。
交流のなかった2千数百年の間には、アイヌの人々と和人(本州人)との間でコシャマインの蜂起やシャクシャインの乱など有名な戦いもありました。これは異人種間の争いではなく、本家と分家の内輪もめだったのです。
最近の科学がそのことを裏付けてくれます。人類学者の埴原和郎氏は「以前は異人種と考えられていたアイヌや沖縄の集団も日本人集団の一部ということになる」と著書「日本人の骨とルーツ」に書いています。また遺伝子分析でも「アイヌが縄文人の特徴を残していることはさまざまな研究でほぼ定説になっている」(「日本人の起源」)という結果がでています。
ちなみに現代の平均的日本人の遺伝子は、縄文系3に対して渡来系7の割合。かつてエミシとかハヤトと呼ばれた種族がいた東北や南九州などでは縄文系遺伝子の比率がやや高く、4か5ぐらい。アイヌの人々の場合は、北方のオホーツク系の血がいくらかまじって縄文系遺伝子の比率は8ないし9といったところでしょう。いずれにせよ、これは人種の違いではなく、あくまで地域差の問題と理解すべきものです。
それにしてもアイヌ民族を先住民族にしたいという国会決議のあと、すでに6年が経過しましたが、考古学者や人類学などの学界から批判や反論があったとは寡聞にして知りません。ことを荒立てないのをよしとして放置していると、慰安婦問題や領土問題の轍を踏むことになりかねません。先ほど埴原氏がちょっと触れたように沖縄人も縄文人の血を色濃く残していますが、その沖縄人を先住民族などというと、日本から沖縄を剥がそうとねらっている中国などに「沖縄を日本領にする権利が、日本にあるのか」といわせる口実を与える可能性もあるのです。